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2023.05.18
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国語の授業を受ける意義とは?
皆さん、学校で国語の授業を受けますが、何のために授業を受けるのか、どんな意味があるのかを考えたことはありますか?
グローバル化が加速する中、要求されるコミュニケーション手段は、やはり英語です。だから英語を使えるように学校や塾で学習する、それは分かりますよね。
では、日本語を話すことができる皆さんが、国語の授業を受けるのはなぜでしょう。
人の思考には、「論理的」なとらえ方、「感情的」なとらえ方の2つがあると言われています。
「感情的」なとらえ方を磨くために必須なのが、「情操教育」です。
情操とは、美しいものや尊いものに接したときに感じる感情、情緒のことで、喜怒哀楽のような情動とは異なり、教育が必要とされます。
そのため、「論理的」だけでなく「感情的」なとらえ方も、国語で学んでいくことになるのです。
そこで、「感情的な」とらえ方を学ぶとはどういうことなのか、教科書の作品を用いながら、見ていきたいと思います。
例えば、かの文豪森鴎外の「高瀬舟」は、物が豊富で医療が発達した現代において、知足、安楽死などについて考えさせられる作品です。
「ヒロシマのうた」、詩「挨拶」のように戦争を扱った作品もあり、人間の本質や戦争の是非などを考えずにはいられません。
それから、友達との関係を扱った「星の花が降るころに」。等身大の登場人物に自分を重ね、彼らと感情を行き来させながら共感を覚える子もいるでしょう。
ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」の、妬み、罪悪感、後悔など人間の否定的な面においても、登場人物を追うことが、客観的に自分を見つめる格好の機会となり得ます。
等々、切りがありません。優れた作品に触れ感化される、それが倫理観を養うこと、価値観を広げていくことに繋がっていきます。
また、古典の分野には、選りすぐりの短歌、俳句に漢詩、「枕草子」、「奥の細道」などがあります。
季節の移ろいと共に変化する自然を愛で、それに自分の身を重ねながら表現された様々な感情。
芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」に象徴される無常観。作品を通して、日本語の豊かさ、もののあはれ、わび・さびのような日本人特有の感性、美的感覚や情緒などを学んでいくのです。
「感情的な」とらえ方を学ぶことは、人として、日本人として生きていく力に深く関わることを理解いただけるでしょうか。これが、国語の授業を受ける理由の一つです。
グローバル化が進む一方で、様々な分野でダイバーシティ(多様化)に対する意識も高まってきています。世の流れでどうしても英語に傾倒しがちな昨今ですが、決して国語も疎かにはできません。
ぜひ家族の皆様で教科書を開き、国語について語り合う時間を設けていただけたらと思います。